2011年3月24日木曜日

方向が違う

今日、大学がある大岡山駅で朝日新聞の広告を見た。



URL: http://www.asahi.com/ad/clients/gakuwari/

これは新聞を定期購読すると学生は購読料が安くなるキャンペーンである。多くの学生に朝日新聞を読んでもらうことにより、社会人になっても読んでくれるという朝日新聞の狙いがみえるが、どうも考えがおじさんくさいと思うのは私だけではないだろう。

最近の若者の情報源の大半を占めるのが、インターネットである。マスメディアからの情報発信をインターネットでみるのみならず、友人や学校の講義までインターネットで情報を得る時代である。

これは新聞の衰退が著しいアメリカ合衆国で前々から叫ばれていることだが、インターネットを利用し、収益を稼ぐ手法が今、世界中の新聞社で必要となっている。新聞の衰退は若者が活字を読まなくなったのではなく、インターネットの爆発的な普及により、紙媒体という情報伝達手段が時代遅れになったからである。この流れは残念ながら、今後さらに加速していく。

そこで、新聞社が新聞社として生き残る方法はインターネットにより情報を発信し、インターネットで利益を得ることのみである。例えば、私が購読している英国新聞社のThe Economistは世界中の人々から絶大な支持を得ているが、私は紙媒体で新聞を購読しているのではなく、インターネットによる媒体で新聞を購読している。ウェブ上で記事を読むことにより、一年間で約5000円と、低価格でクオリティの高い記事を読むことができる。

もし、朝日新聞が今後も新聞社として存続していくためには、The Economistのように低価格なウェブ上で購読できるサービスを学生限定でも良いからまず始めるべきである。たしかに、月額2500円から年額5000円と、得られる利益は格段に減る。しかし、このまま時代遅れの紙媒体のみに頼っていてはいずれ、衰退するのは自明である。一方、この方向転換を実現するためには、会社規模の縮小やリストラなど、痛みを伴うことは避けられない。

新聞を読んでもらえないのは、不便だからである。値段が高いからではない。手軽に新聞を読んでもらうにはどうすれば良いのかを朝日新聞社のみならず多くの日本の新聞社は考えていくべきである。

2011年3月6日日曜日

Freedom as a student




学生は自由な身分だと、最近つくづく思う。

色々なことが自由である。発言(あまりにひどいのはダメだが)、新しい概念の提唱、新しいものの開発、そのほかもろもろ、なにをしてもある程度自由は許させる。

今までの学生生活を振り返ってみると、かなり自由なことをしていたと同時に、たくさんのことをやり残してきたのではないかと考えてしまう。

仮に、今考えうる全てのものを行っていても、そう思っていたのだろう。

要するに、人間の欲望や欲求は無限大なのである。どんなに欲望を満たそうとしても満たさせることはない。

欲望はまるで宇宙のようではないか。宇宙は今なおも膨張を続けていて、大きさはどこまでいくかは分からない。そしてその大きさは、人間的感覚から言えば、十分に大きい数であるため、無限に近いものである。

人間の欲望も膨張を続ける。どこまでいくかはわからない。


話は変わり、こないだシドニーに旅行に行った。

英語圏の国に行くたびに思うのは、Zero Tolerance という言葉である。

これは、個人個人に裁量を任せるが、ルールを逸脱した場合は、厳罰されるということである。

例えば、アメリカ合衆国カリフォルニア州の高校生は、禁止されている喫煙が発覚した場合は、退学となる。

日本の高校に比べて、非常に重い罰である。しかし、かといって日本よりも自由度が少ないかといえばそうではない。

そして、今回の旅でも詳細は避けるが、人々は人それぞれ自分の好きなように自分を表現していた。日本でその表現を行えば、気違いだと思われることも現地では誰も気に止めない。

彼らはルール(法律)に従いながら、自由に自分を表現している。

このような文化は僕は好きである。