2012年10月30日火曜日

Mutually exclusive, collectively exhaustive

MECE 最近すごく意識する言葉。 もれなく、だぶりなく。 業務効率のさらなる向上が求められている今、この言葉を実践できるようになれば、その目標は達成できるだろ。 MECEをするということは、頭では理解しているが実践する場になるとなぜかできなくなる。 なぜか?それは、MECEをする前準備が間違っているのではないかと思う。 もれなくだぶりなくするためには、何が必要か?メニューを組んでみてこれは、もれなくだぶりなく検討できるのか?検討項目はもれなくだぶりなくチェックできるよう、ファイルを作っているか? これらのことをできないと、結果はもれてだぶりまくりになる。 MECE、MECEぶつぶつ言いながら仕事していこう。

2011年12月25日日曜日

Life is not long as I hope



勤めている会社が12月締めなので、今月をもって、社会人初年度は終了となる。

4月に入社した時から、自分は成長しているか?

100点を満点とすると。45点くらいだろう。

当初の目標とはかけ離れた地点に今はいる。

そもそもの会社の職場のイメージと実際が違ったところもあるが、自分の努力量としてはまだ十分ではない。

このままではダメなのはわかっている。今後の対策として

毎朝、毎晩、自分は今日、充実した一日を過ごせるか、過ごしたか、セルフチェックを今後する。

人生はそう長くはない。

2011年9月18日日曜日

Life of Salaryman

サラリーマン生活が始まって、はや半年が過ぎようとしている。依然、モチベーションは高い所に維持できている。その理由として、何点か挙げられる。

(1)自分の志望通りの業界に入れたから⇒メーカー
(2)自分の志望通りの職種に就けたから⇒設計開発
(3)自分の希望通りの人生を過ごせているから⇒モーレツサラリーマンではない生活。

ここに、自分の希望通りの年収を満たせていたら、かなり幸福な人生である。しかし、入社して半年の今、その事を願う資格は私には無い。

なるたけ早い時期に、会社の利益に貢献できる人材(技術者)になりたい。そこで初めて、給料に関して、不満や文句が言える立場になると思う。

周りには、入社して数ヶ月で会社に貢献できるレベルに達していない人で、給料に対して不満、文句を言っている人がちらほらいる。

それは、大きく間違っている。今はお金をもらって、勉強をさせてもらっているからだ。お金がほしいなら、家賃の安い家に住み、自炊し、節約して可処分所得を増やしてくしかない。

とにかく、20代のうちはお金に関しては不足状態が続くと予想している。

これをバネにして、トップレベルのエンジニアを目指していくしか無い。

2011年4月4日月曜日

new graduate

会社員になりました。

とりあえず、研修は休まずに行ってる。

時給換算したところ、一日行けば1万以上の給料が発生する。

結構な額。今年の大卒は300人なので、一日に300万円の給料を会社は支払っていることになる。

これは、例えばデジタルカメラの価格を3万円とし、利益は1万円とする。そうすると、私たち新入社員の一日の給料を払うために、300個ものカメラを売る必要がある。

そう考えると、人件費とは馬鹿にならないものだと思う。

ところで、会社に入ると思うことは自分が勤めている会社のことを「うちの会社」「おれの会社」などと言う会社員の方が会社を問わずに多い。

しかし、本当にあなたの会社なのか?とそのたびに思ってしまう。本人はあくまでの自分が勤めている会社と言うのは煩わしいから、そう短縮しているのだが、正確には間違っている。

あくまでも私が勤めている会社なのである。

いつになったら俺の会社と言えるかといえば、役員あたりになれば、そう言えるだろう。

ということで、私は、俺の会社とかうちの会社とか言うのは、万が一役員になってからしか言わないように最大限に努力することにした。

2011年3月24日木曜日

方向が違う

今日、大学がある大岡山駅で朝日新聞の広告を見た。



URL: http://www.asahi.com/ad/clients/gakuwari/

これは新聞を定期購読すると学生は購読料が安くなるキャンペーンである。多くの学生に朝日新聞を読んでもらうことにより、社会人になっても読んでくれるという朝日新聞の狙いがみえるが、どうも考えがおじさんくさいと思うのは私だけではないだろう。

最近の若者の情報源の大半を占めるのが、インターネットである。マスメディアからの情報発信をインターネットでみるのみならず、友人や学校の講義までインターネットで情報を得る時代である。

これは新聞の衰退が著しいアメリカ合衆国で前々から叫ばれていることだが、インターネットを利用し、収益を稼ぐ手法が今、世界中の新聞社で必要となっている。新聞の衰退は若者が活字を読まなくなったのではなく、インターネットの爆発的な普及により、紙媒体という情報伝達手段が時代遅れになったからである。この流れは残念ながら、今後さらに加速していく。

そこで、新聞社が新聞社として生き残る方法はインターネットにより情報を発信し、インターネットで利益を得ることのみである。例えば、私が購読している英国新聞社のThe Economistは世界中の人々から絶大な支持を得ているが、私は紙媒体で新聞を購読しているのではなく、インターネットによる媒体で新聞を購読している。ウェブ上で記事を読むことにより、一年間で約5000円と、低価格でクオリティの高い記事を読むことができる。

もし、朝日新聞が今後も新聞社として存続していくためには、The Economistのように低価格なウェブ上で購読できるサービスを学生限定でも良いからまず始めるべきである。たしかに、月額2500円から年額5000円と、得られる利益は格段に減る。しかし、このまま時代遅れの紙媒体のみに頼っていてはいずれ、衰退するのは自明である。一方、この方向転換を実現するためには、会社規模の縮小やリストラなど、痛みを伴うことは避けられない。

新聞を読んでもらえないのは、不便だからである。値段が高いからではない。手軽に新聞を読んでもらうにはどうすれば良いのかを朝日新聞社のみならず多くの日本の新聞社は考えていくべきである。

2011年3月6日日曜日

Freedom as a student




学生は自由な身分だと、最近つくづく思う。

色々なことが自由である。発言(あまりにひどいのはダメだが)、新しい概念の提唱、新しいものの開発、そのほかもろもろ、なにをしてもある程度自由は許させる。

今までの学生生活を振り返ってみると、かなり自由なことをしていたと同時に、たくさんのことをやり残してきたのではないかと考えてしまう。

仮に、今考えうる全てのものを行っていても、そう思っていたのだろう。

要するに、人間の欲望や欲求は無限大なのである。どんなに欲望を満たそうとしても満たさせることはない。

欲望はまるで宇宙のようではないか。宇宙は今なおも膨張を続けていて、大きさはどこまでいくかは分からない。そしてその大きさは、人間的感覚から言えば、十分に大きい数であるため、無限に近いものである。

人間の欲望も膨張を続ける。どこまでいくかはわからない。


話は変わり、こないだシドニーに旅行に行った。

英語圏の国に行くたびに思うのは、Zero Tolerance という言葉である。

これは、個人個人に裁量を任せるが、ルールを逸脱した場合は、厳罰されるということである。

例えば、アメリカ合衆国カリフォルニア州の高校生は、禁止されている喫煙が発覚した場合は、退学となる。

日本の高校に比べて、非常に重い罰である。しかし、かといって日本よりも自由度が少ないかといえばそうではない。

そして、今回の旅でも詳細は避けるが、人々は人それぞれ自分の好きなように自分を表現していた。日本でその表現を行えば、気違いだと思われることも現地では誰も気に止めない。

彼らはルール(法律)に従いながら、自由に自分を表現している。

このような文化は僕は好きである。

2011年2月20日日曜日

個としての突破力

 これからの時代は個としての突破力が求められていると言われている。そもそも「突破力」の定義はなんだろうか。

用例:
田中氏が新社長に抜擢されたのは、高速無線通信「WiMAX(ワイマックス)」事業をゼロから立ち上げるなどした「突破力」を評価されたため。
(www.itmedia.co.jp/news/articles/1009/28/news066.html)

突破力を評価するとは定量的な評価なのか、それとも定性的な評価なのか。どちらだろうか。

集の中に個がある限り、個の力を評価するには変数が無限に近いほどある。

例:
例えば、100人の社員がいる会社があるとする。(社長+1)このとき、社員の名前順に並べ、X1,X2,....,X100と変数を割り振る。このとき、30人目のX30の突破力を評価する式は


突破力(X30)
=f(X1,X2,...,X100,X1*X2,X1*X2*X3,..............)

と変数の数が膨大になる。要するに単純に要素だけでなく要素それぞれの積も変数に考慮する必要があることからこれは起因する。

よって、あくまでも定性的な評価でしか個の突破力は実用上評価できないことがわかる。

もし、ある会社が「弊社では人事評価を定量的に行なっております。」とか言っているなら、胡散臭さがプンプンする。

当たり前と言われれば当たり前だけど。