2011年3月6日日曜日

Freedom as a student




学生は自由な身分だと、最近つくづく思う。

色々なことが自由である。発言(あまりにひどいのはダメだが)、新しい概念の提唱、新しいものの開発、そのほかもろもろ、なにをしてもある程度自由は許させる。

今までの学生生活を振り返ってみると、かなり自由なことをしていたと同時に、たくさんのことをやり残してきたのではないかと考えてしまう。

仮に、今考えうる全てのものを行っていても、そう思っていたのだろう。

要するに、人間の欲望や欲求は無限大なのである。どんなに欲望を満たそうとしても満たさせることはない。

欲望はまるで宇宙のようではないか。宇宙は今なおも膨張を続けていて、大きさはどこまでいくかは分からない。そしてその大きさは、人間的感覚から言えば、十分に大きい数であるため、無限に近いものである。

人間の欲望も膨張を続ける。どこまでいくかはわからない。


話は変わり、こないだシドニーに旅行に行った。

英語圏の国に行くたびに思うのは、Zero Tolerance という言葉である。

これは、個人個人に裁量を任せるが、ルールを逸脱した場合は、厳罰されるということである。

例えば、アメリカ合衆国カリフォルニア州の高校生は、禁止されている喫煙が発覚した場合は、退学となる。

日本の高校に比べて、非常に重い罰である。しかし、かといって日本よりも自由度が少ないかといえばそうではない。

そして、今回の旅でも詳細は避けるが、人々は人それぞれ自分の好きなように自分を表現していた。日本でその表現を行えば、気違いだと思われることも現地では誰も気に止めない。

彼らはルール(法律)に従いながら、自由に自分を表現している。

このような文化は僕は好きである。

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