ストレスフリーな社会。
現代のストレス社会をなくすために出てきた言葉である。
しかし、私はストレスフリー=幸福だとは思わない。
ストレスフリーとは文字通りストレスがないということ。
しかし、本当にストレス=悪なのだろうか?
むしろストレス=張り合い
と私は考える。
ストレスが存在することにより、人生に刺激が与えられる。
その刺激が強すぎると、つまりストレスが強すぎると人間は駄目になる。
駄目にならないには方法は二つある。
1)刺激から守るために、抵抗力を強める。
2)刺激自体を減らす。
方法2がベターだが、刺激を減らすと人生に張り合いがなくなる。
つまり、張り合いのある人生を送りたいなら方法1を採用すべきである。
さて、抵抗力とはなんだろうか。
私は抵抗力は「心の支え」であると考える。
何か目標や疲れを癒してくれる存在などがあれば、多少のストレスがあっても耐えていける気がする。
2009年10月10日土曜日
2009年10月9日金曜日
本質
物事には本質というものが存在する。
あらゆる物を取り除き、最終的に残るもの。
その最終的に残るものとは、取り除いたものに共通するものである。
本質=集合A
取り除いたもの=集合B1,B2,.....,Bn
と書けるとすると、以下のように書ける。
A∈B1,B2,....,Bn
要するに本質的なものとはすべての物の元(げん)になるものである。
なぜ、本質が重要かというと、ものごとを比較するにはある程度余分なものを取り除かないと比較しにくいからである。
あらゆる物事について、その本質はなにか。そんなことを考えることが知的活動にはとても重要なのかと思う。
あらゆる物を取り除き、最終的に残るもの。
その最終的に残るものとは、取り除いたものに共通するものである。
本質=集合A
取り除いたもの=集合B1,B2,.....,Bn
と書けるとすると、以下のように書ける。
A∈B1,B2,....,Bn
要するに本質的なものとはすべての物の元(げん)になるものである。
なぜ、本質が重要かというと、ものごとを比較するにはある程度余分なものを取り除かないと比較しにくいからである。
あらゆる物事について、その本質はなにか。そんなことを考えることが知的活動にはとても重要なのかと思う。
2009年4月5日日曜日
legalisation
明日から院生である。
モチベーションは常に高いところを維持したいところである。
まず、北朝鮮の飛翔体発射である。
北は人工衛星を搭載したロケットであると主張したが、アメリカによるとロケット先端も2段目と一緒に太平洋に落ちた→つまり、衛星など搭載していない。
というか、日本政府がそういうことは第一に発表してほしいものである。
迎撃しないのならば、せめて、そういうところは結果を残してほしい。
話は変わって、大麻問題である。
中村雅俊の息子(俳優)が大麻所持の疑いで逮捕された。
そこで登場したのが親父の雅俊である。
息子といえども31歳である。
今回の逮捕はあくまでも自己責任であり、父親がカメラの前で謝罪するものではないと思う。
というか、誰にも迷惑かけてないし。
世界的にみても三十路の息子の逮捕に親父がでてくるのはとても違和感がある。
大麻の問題は世界的にも非常に深刻な問題であり、長年にわたりさまざまな議論がなされている。
しかし、大麻は消えるどころか現在も多くの人々に愛されて?いる。
そこで今話題になっているのが、撲滅ではなくタバコや酒のように規制すべきという考えである。
これは、the Economist(How to stop the drug wars)やTIME(Why Legalizing Marijuna Makes Sense)はどちらも撲滅は解決策ではないと主張。
the Economist においてはあえて大麻を認可することにより、子供のときからの大麻の危険性などの教育を強化することが可能になり、中途半端な知識で大麻を摂取することは減るだろう。
さらに、大麻摂取の際に複数人により注射器を共用することによるHIV感染も抑制できる。
極めつけは、大麻にもタバコや酒と同様に税金をかけることにより政府に莫大なお金が転がりこんでくる。
これには大麻は良い!と認めることになるが認可されているタバコや酒も人体に悪影響を及ぼすことがわかってきている今、大麻規制は大きな転換期を迎えている。
2009年3月29日日曜日
2009年1月18日日曜日
2009年1月7日水曜日
2009年1月4日日曜日
忘却
自分はいつも踏ん切りが悪い。
やるべきことをやらず、やる必要のないことを繰り返してばかり。
22歳になってやっと自覚した次第である。
自分にとって何が今必要なのか?
そのことを考えてから行動するべきである。
残された時間はそう長くない。
話は変わり、
忘却について考えてみた。
忘却は悪ではない。
むしろ善である。
古いものを排出することにより、新しいものを取り入れることができる。
その中でも残るものはあるはずである。
それが自分にとって必要なものである。
いわば自然淘汰のようなものであり、気にせずに生きるのが良いと思うこの頃。
そして、その残ったカスは知恵であると考える。
わからないことはwikipediaにいけばわかる。
viva 忘却。
やるべきことをやらず、やる必要のないことを繰り返してばかり。
22歳になってやっと自覚した次第である。
自分にとって何が今必要なのか?
そのことを考えてから行動するべきである。
残された時間はそう長くない。
話は変わり、
忘却について考えてみた。
忘却は悪ではない。
むしろ善である。
古いものを排出することにより、新しいものを取り入れることができる。
その中でも残るものはあるはずである。
それが自分にとって必要なものである。
いわば自然淘汰のようなものであり、気にせずに生きるのが良いと思うこの頃。
そして、その残ったカスは知恵であると考える。
わからないことはwikipediaにいけばわかる。
viva 忘却。
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